2013年3月18日月曜日

Devil Doll, インタビュー要約(2)

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  • あなたの音楽には、ロック/メタル、プログレ、クラシック、サウンドトラックなどの影響があるように思われるが、どのようなものから音楽的影響を受けているのだろうか?


 Mr. Doctorの母親はクラシックの素養があるピアニストで(プロであったのかどうかは不明)、彼の幼少期の音楽的傾向の指針となった。それはとりわけベートーヴェンであったという。幼いMr. Doctor少年はステレオ・セットのあるダイニング・ルームに座り、母親が音楽をかけるのを聞いていたというが、そこで彼女はつねに明かりを消し、それはあたかも、音楽と光が共存不可能なようであったという。彼は目を閉じると、ベートーヴェンのサウンドトラックが付けられた映画のなかにいるようだったと回想しているが、そこでベートーヴェン『交響曲第7番』第2楽章を挙げている(1
 但し、彼の母親はそれほど趣味の範囲を広げようという人間ではなかったようで、クラシック趣味も、バッハ、モーツァルト、ブラームス、ヴィヴァルディなどに限られていたようである。彼はその後、ドヴォルザーク『交響曲第9番』(2、ホルスト『惑星』(彼によれば、「火星」はハード・ロックの元祖である)(3、サミュエル・バーバー『弦楽のためのアダージョ』(4に傾倒してゆく。またDevil Doll開始時に嵌っていたのは、ショスタコーヴィチ『弦楽四重奏曲第8番』、『ムツェンスク群のマクベス夫人』(5、プロコフィエフ『アレクサンドル・ネフスキー』(6、ベラ・バルトーク『管弦楽のための協奏曲』(7、チャールズ・アイヴズ『交響曲第4番』(8などであり、また一方で、ペンデレツキやルトスワフスキによって(9、音色の世界への興味が増進されたとも語っている。

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(1)ルードヴィッヒ・ベートーヴェン(1770-1827):神聖ローマ帝国の作曲家。日本では「楽聖」とも呼ばれる。毎年暮れの「第九」は、「日本だけの」風物詩である。『交響曲第7番』は、ベートーヴェンの交響曲のなかでは明朗快活な曲であり、さまざまなテレビや映画にも使われている。但し、交響曲の文法的には「緩徐楽章(ゆったりとした楽章)」になることの多い第二楽章はゆっくりしており、Mr. Doctorが「好戦的で、葬式のような(martial, funeral-like)」と感じたのも無理からぬことである。


(2)アントニン・ドヴォルザーク(1841-1904):オーストリア帝国(現チェコ)の作曲家。
『交響曲第9番』(1894)は彼の数多くの楽曲のなかでも最も有名であり、「新世界より(From the New World)」という副題が付いている。ここで言う「新世界」とは、アメリカ合衆国のことであり、アメリカ滞在時に、新世界から故郷ボヘミアに向けて書かれた曲である。第二楽章Largoが、のちに『家路』や『遠き山に日は落ちて』などの歌詞が付けられ、独立した曲として人気を博す。


(3)グスターヴ・ホルスト(1874-1934):イギリスの作曲家。組曲『惑星(The Planets)』(1914-1916)は彼の代表曲。発表当時は大人気を博したが、一時期は表面的な曲として低評価が下されていた。近年また再評価されている。


(4)サミュエル・バーバー(1910-1981):アメリカの作曲家。『弦楽のためのアダージョ(Adagio for Strings)』(1938)は『バーバーのアダージョ』とも呼ばれるほど有名である。テレビや映画、そしてニュースなどにもよく使われている有名曲。


(5)ドミートリィ・ショスタコーヴィチ(1906-1975):ロシア・ソ連の作曲家。暗い曲が多く、『交響曲第5番(通称:革命)』などが有名だが、デビュー時はモーツァルトの再来と呼ばれた。ロシア出身の作曲家がソ連成立後、数多く亡命してゆくのに対し、彼はずっとソ連の作曲家であり続けた。そのため、生前は「体制の御用作家」として批判を浴びていたが、死後様々な政府との軋轢が明らかになるにつれて、西側諸国での再評価がなされた。『弦楽四重奏曲第8番(String Quartet No.8)』(1960)は15曲残されたショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲のなかでも、もっともパーソナルなものと言われる。『ムツェンスク群のマクベス夫人(Леди Макбет Мценского уезда)』(1934)は、ショスタコーヴィチの数少ないオペラ作品のひとつ。スタリーンに激怒されたため、事実上ソ連では上演禁止となっていた。


(6)セルゲイ・プロコフィエフ(1891-1953):ロシア(現ウクライナ)、ソ連の作曲家。海外生活が長く、またバレエ、映画音楽など数多くのジャンルに作曲を行った。ジダーノフ批判にさらされるなどもしたが、総じて体制に応じて作風を変えるなどの転換が上手かった。『アレクサンドル・ネフスキー(Александр Невский)』(1938、1939)は、1938年公開の、エイゼンシュテインによる同名の映画のために書かれた曲を、1939年にカンタータ用として再編集したもの。


(7)ベラ・バルトーク(1881-1945):ハンガリーの作曲家。『管弦楽のための協奏曲(Concert for Orchestra)』は1943年作曲の、五楽章形式の楽曲。

(8)チャールズ・アイヴズ(1874-1954):アメリカの作曲家。『交響曲第4番』(1910-1916)は、アイヴズの最高傑作としても、またそのあまりにも巨大な構成によっても知られている。

(9)クシシュトフ・ペンデレツキ(1933-)、ヴィトルト・ルトスワフスキ(1913-1994):ともにポーランドの作曲家。

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